2018年08月18日
床尾地区の鳴雷山(なるかみやま)火祭りに行ってきました。
信州中信平、三大火祭りの1つとされている火祭りです。
隣の地区でのお祭りなので知ってはいましたが見たことがありませんでした。
麦わらでたいまつを作るのですが、近年麦を作る農家が少なく藁が手に入らなくて困っていると聞きます。
今年農園で収穫した麦わらを提供したことをきっかけに見学者大歓迎という事を聞いたもので早速見学に行ってきました。
7時に床尾神社集合と聞いたのでその時間に合わせてお店を休みにして行ってきました。
境内には子供やその父兄や消防団それから神事に集まった氏子役員が集まっていました。
30分過ぎた頃から神主さんの神事も終わり外に積まれた藁束に火が点けられます。
同時に打ち上げ花火も大きな破裂音と火花を飛ばしました。


その日を種火としてたいまつに火が次々と点けられて子供達がそのたいまつを抱えて山登りが始まりました。

私は昼の蕎麦の播種作業の疲れも有り、上り1時間下り1時間の山登りの方は遠慮しまして、ちびっ子と父兄で行われる里の虫追いの方へ着いていくことにしました。
竹の棒の先から針金で吊された缶からと言う物を持ってきて、中には石油を湿らせたぼろ布が入っています。
これに種火から火を貰って虫追いをするのです。

1つのグループに30分ほど付いて歩いて集合場所に付くと既に数人集まっていました。
ここで大きな麦わらのたいまつを崩して燃やしてしまいおしまいとなりました。
来年は体力も少し準備して山登りの方へ参加したいなと思いました。
神社まで戻ってくる途中に鳴神山の中腹辺りで打ち上げ花火が上がりました。
消防の方が中腹と頂上に着いたときに花火を打ち上げるのだと聞きました。
おぼろ月夜でとても良い祭りでした。
隣の地区でのお祭りなので知ってはいましたが見たことがありませんでした。
麦わらでたいまつを作るのですが、近年麦を作る農家が少なく藁が手に入らなくて困っていると聞きます。
今年農園で収穫した麦わらを提供したことをきっかけに見学者大歓迎という事を聞いたもので早速見学に行ってきました。
7時に床尾神社集合と聞いたのでその時間に合わせてお店を休みにして行ってきました。
境内には子供やその父兄や消防団それから神事に集まった氏子役員が集まっていました。
30分過ぎた頃から神主さんの神事も終わり外に積まれた藁束に火が点けられます。
同時に打ち上げ花火も大きな破裂音と火花を飛ばしました。
その日を種火としてたいまつに火が次々と点けられて子供達がそのたいまつを抱えて山登りが始まりました。
私は昼の蕎麦の播種作業の疲れも有り、上り1時間下り1時間の山登りの方は遠慮しまして、ちびっ子と父兄で行われる里の虫追いの方へ着いていくことにしました。
竹の棒の先から針金で吊された缶からと言う物を持ってきて、中には石油を湿らせたぼろ布が入っています。
これに種火から火を貰って虫追いをするのです。
1つのグループに30分ほど付いて歩いて集合場所に付くと既に数人集まっていました。
ここで大きな麦わらのたいまつを崩して燃やしてしまいおしまいとなりました。
来年は体力も少し準備して山登りの方へ参加したいなと思いました。
神社まで戻ってくる途中に鳴神山の中腹辺りで打ち上げ花火が上がりました。
消防の方が中腹と頂上に着いたときに花火を打ち上げるのだと聞きました。
おぼろ月夜でとても良い祭りでした。
2018年08月17日
画を2枚仕上げました。
2003年に田川荘の頃という絵の個展を開いて依頼全く画を描いていませんでした。
2年前に宿直の仕事をしていたときにパステル画を一枚描いたのですが、仕上がってはいませんでした。
この盆の間お店は通常営業をしたのですが、残念ながら来店者はございませんで、麦茶の焙煎作業をしっかりやっていました。
今夜はそれでも余る時間をなんに使おうかと思いましたが、久しぶりに画を一枚描いてみようかとガレージにおきっぱになっていたスケッチブックとパステルを持ってきました。
山口県油谷へ通ってた頃に夜中にバイクや軽トラで走っていたときのを画に描いてみたいと思ったものでした。

宿直の仕事をした季節が冬で場所が谷への入り口辺りだったのでそんな風景の中を走る軽トラとなってしまいました。
1枚仕上がったので、つい2枚めもと手を付けました。
この絵は描き出したばかりで上手く掛けないなぁと投げ出してしまった画でした。
塩尻に住み始めたばかりの時に描いた画です。
半分以上が白い部分でした。

2時間あまり久しぶりに集中して画を楽しめました。
2年前に宿直の仕事をしていたときにパステル画を一枚描いたのですが、仕上がってはいませんでした。
この盆の間お店は通常営業をしたのですが、残念ながら来店者はございませんで、麦茶の焙煎作業をしっかりやっていました。
今夜はそれでも余る時間をなんに使おうかと思いましたが、久しぶりに画を一枚描いてみようかとガレージにおきっぱになっていたスケッチブックとパステルを持ってきました。
山口県油谷へ通ってた頃に夜中にバイクや軽トラで走っていたときのを画に描いてみたいと思ったものでした。
宿直の仕事をした季節が冬で場所が谷への入り口辺りだったのでそんな風景の中を走る軽トラとなってしまいました。
1枚仕上がったので、つい2枚めもと手を付けました。
この絵は描き出したばかりで上手く掛けないなぁと投げ出してしまった画でした。
塩尻に住み始めたばかりの時に描いた画です。
半分以上が白い部分でした。
2時間あまり久しぶりに集中して画を楽しめました。
2018年08月14日
お盆だからと言っても、何も変わりません。
盆休みなど勤め人ではありませんのでありません。
農事者になってからは季節労働者ですから仕事はいつもなくならないし、種蒔きと収穫と片付けがエンドレスで続きます。
あ、今夜は田んぼへの水入れの日だった。
すっかり忘れてしまった。
気付いたのはとこには行って3時間後の12時頃だった。
すごすごと起きて居間へ行くとまだテレビを見ている方が一人おられる。
あれ、どうしたのと聞かれ田んぼの水入れ忘れていたのでこれから行ってくると答えます。
まさかパンツのままで行かないよねと笑われたが、行くはずないと静かに答えながらズボンをはきます。
田んぼの草取りはもう諦めて兎に角水を枯らさないようにだけはしようと誓いを立てたので、なんとしても・・・いやいや、そんなに大変な大げさなことではないか。
まあ、夜中に田んぼへ行くことくらいは出来るわけです。
バイクに乗って田んぼの水口を開けると夜空には久しぶりの星空が広がっていました。
話題になっている大きな赤い火星が北山の上にあります。
はくちょう座が天の川の帯ををバックに飛んでいます。
今夜当たりもペル制す座の流星が見られるのではないかと暫く空を眺めていましたが、首が痛くなるのでやめました。
恰好も半袖Tシャツ一枚だけですから蚊にも刺されますしね。
家に帰ってきてから久しぶりに星空を眺めに出掛けようかと思いました。
タンスからフリースを出して着ます。
車庫の引き出しから双眼鏡を出して首に掛けます。
蚊取り線香に火を点けて助手席に乗せます。
先ず農場に行きましたが、遺跡公園の沢山の照明でビニールハウスまでくっきり白く浮かび上がりますし、空が白く濁っています。
ここじゃだめだぁ。
桔梗農場へ移動しましたが、ぶどう園の中を走る沿道にも外灯がしっかり有り、ここも全く空を眺める環境ではありません。
やはり高ボッチ高原まで行かないと自分の希望している空はないのだなと諦めて桔梗農場で30分ほど窓に座布団を置いて空を眺めてきました。
薄い短い流星を2つ見ただけでした。
首や肩を痛くして帰ってきた自宅の裏の駐車場から星空を見たら・・・ここが一番周りからの光が来なく、黒い空だったことに少し複雑な残念な思いを持ちました。
もう夜中の1時半になります。
寝ます。
農事者になってからは季節労働者ですから仕事はいつもなくならないし、種蒔きと収穫と片付けがエンドレスで続きます。
あ、今夜は田んぼへの水入れの日だった。
すっかり忘れてしまった。
気付いたのはとこには行って3時間後の12時頃だった。
すごすごと起きて居間へ行くとまだテレビを見ている方が一人おられる。
あれ、どうしたのと聞かれ田んぼの水入れ忘れていたのでこれから行ってくると答えます。
まさかパンツのままで行かないよねと笑われたが、行くはずないと静かに答えながらズボンをはきます。
田んぼの草取りはもう諦めて兎に角水を枯らさないようにだけはしようと誓いを立てたので、なんとしても・・・いやいや、そんなに大変な大げさなことではないか。
まあ、夜中に田んぼへ行くことくらいは出来るわけです。
バイクに乗って田んぼの水口を開けると夜空には久しぶりの星空が広がっていました。
話題になっている大きな赤い火星が北山の上にあります。
はくちょう座が天の川の帯ををバックに飛んでいます。
今夜当たりもペル制す座の流星が見られるのではないかと暫く空を眺めていましたが、首が痛くなるのでやめました。
恰好も半袖Tシャツ一枚だけですから蚊にも刺されますしね。
家に帰ってきてから久しぶりに星空を眺めに出掛けようかと思いました。
タンスからフリースを出して着ます。
車庫の引き出しから双眼鏡を出して首に掛けます。
蚊取り線香に火を点けて助手席に乗せます。
先ず農場に行きましたが、遺跡公園の沢山の照明でビニールハウスまでくっきり白く浮かび上がりますし、空が白く濁っています。
ここじゃだめだぁ。
桔梗農場へ移動しましたが、ぶどう園の中を走る沿道にも外灯がしっかり有り、ここも全く空を眺める環境ではありません。
やはり高ボッチ高原まで行かないと自分の希望している空はないのだなと諦めて桔梗農場で30分ほど窓に座布団を置いて空を眺めてきました。
薄い短い流星を2つ見ただけでした。
首や肩を痛くして帰ってきた自宅の裏の駐車場から星空を見たら・・・ここが一番周りからの光が来なく、黒い空だったことに少し複雑な残念な思いを持ちました。
もう夜中の1時半になります。
寝ます。
2018年02月01日
パン酵母がやっと良いのが出来ました。
正月過ぎからパン作りを始めて古い酸っぱい酵母を使い切りました。
新しくリンゴをすり下ろしたものとレーズンと水を入れて部屋の中で7日掛けてやっと出来上がりました。
兎に角朝は10度くらいまで部屋が冷え切ってしまいますので、中々発酵が進みませんでした。
3日経ったところでこれではいかんとこたつに1時間ほど入れて暖めました。
上部に泡が少し溜まったのを確認してからは常温で又放置していました。
味見をしてみても全く炭酸を確認出来なかったのですが、それから4日くらいで思うような酵母液が出来ました。
酵母は暖かい季節に作るのが心配がなくて良いようですね。
その酵母を使って粗挽ききな粉を入れたパンを焼いてみました。
とても良い感じのパンが焼けました。

新しくリンゴをすり下ろしたものとレーズンと水を入れて部屋の中で7日掛けてやっと出来上がりました。
兎に角朝は10度くらいまで部屋が冷え切ってしまいますので、中々発酵が進みませんでした。
3日経ったところでこれではいかんとこたつに1時間ほど入れて暖めました。
上部に泡が少し溜まったのを確認してからは常温で又放置していました。
味見をしてみても全く炭酸を確認出来なかったのですが、それから4日くらいで思うような酵母液が出来ました。
酵母は暖かい季節に作るのが心配がなくて良いようですね。
その酵母を使って粗挽ききな粉を入れたパンを焼いてみました。
とても良い感じのパンが焼けました。
2018年01月17日
まだまだ捨てられない財布です。
もう何年使っているのか判りませんが、小銭専用に使っている財布があります。
過去2回自分で修理して使っていましたが、今日久しぶりに普段来ていないジャンパーのポケットから取りだしてみたら使える状態ではありませんでしたので、又縁の縫い直しをしたのでした。
元々の糸が縫い付けられている部分ですので、今日の修理で全ての縁が自分で通した糸に入れ替わったというわけです。
しかし折れ曲がる部分の皮は薄くなっていて、このままあと何年かすると2つに分裂する事になりそうです。

朝から晩まで今日は雨降りでした。
外作業が無いわけではなかったのですが、午前中は縫い物をして、午後は製粉所の掃除をしました。
何だかのんびりすぎて申し訳ない1日でした。
過去2回自分で修理して使っていましたが、今日久しぶりに普段来ていないジャンパーのポケットから取りだしてみたら使える状態ではありませんでしたので、又縁の縫い直しをしたのでした。
元々の糸が縫い付けられている部分ですので、今日の修理で全ての縁が自分で通した糸に入れ替わったというわけです。
しかし折れ曲がる部分の皮は薄くなっていて、このままあと何年かすると2つに分裂する事になりそうです。
朝から晩まで今日は雨降りでした。
外作業が無いわけではなかったのですが、午前中は縫い物をして、午後は製粉所の掃除をしました。
何だかのんびりすぎて申し訳ない1日でした。
2018年01月15日
好天に恵まれて廃材で薪作りしてます。
古い薪置き小屋を倒したままで中々廃材の片付けが出来ませんでしたが、この所のきつい寒さもあり、薪の消費も増えてついに廃材を薪にして燃やさなければ暖を取れない状態になりました。幸い毎日雨も雪もなく地面に着いて凍結していないもの以外は動かす事が出来て薪材に使い始めました。
親戚から貰ってきた梁は小屋造りに使おうと取っていましたが、重すぎて一人では梁に使う事も出来ずこれも薪にしてしまう事にしました。
毎日湿ったような廃材を燃やしくすぶらせているせいか煙突のつまりも頻繁となっています。
年に2回もやれば良いと思っていましたが秋から既に2回やっており、只今つまり気味で着火までが大変です。
その度部屋中煙屋敷になるので、家族からは薪ストーブはやめて石油ストーブオンリーという意見が強くなっております。
オイラがいる間は薪ストーブの生活を嫌われてもやっていこうと思っていますが。
地面の凍みがなくなって土が動かせるようになりましたら、製粉小屋の隣に焙煎小屋を作る予定でいます。
出来たらついでにジュースやジャムの加工所も併設したいと思っていますが、加工機械に20万ほどかかってしまうかもしれませんので、まだまだ先の話になるのでしょうか。
ま、今の所出来る事を進めていくだけです。
親戚から貰ってきた梁は小屋造りに使おうと取っていましたが、重すぎて一人では梁に使う事も出来ずこれも薪にしてしまう事にしました。
毎日湿ったような廃材を燃やしくすぶらせているせいか煙突のつまりも頻繁となっています。
年に2回もやれば良いと思っていましたが秋から既に2回やっており、只今つまり気味で着火までが大変です。
その度部屋中煙屋敷になるので、家族からは薪ストーブはやめて石油ストーブオンリーという意見が強くなっております。
オイラがいる間は薪ストーブの生活を嫌われてもやっていこうと思っていますが。
地面の凍みがなくなって土が動かせるようになりましたら、製粉小屋の隣に焙煎小屋を作る予定でいます。
出来たらついでにジュースやジャムの加工所も併設したいと思っていますが、加工機械に20万ほどかかってしまうかもしれませんので、まだまだ先の話になるのでしょうか。
ま、今の所出来る事を進めていくだけです。
2018年01月10日
あんぱんを作ります。
昨日仕込んでおいたパン生地で今日はアンパンを作ることにしました。
小豆を買ってきて自分でたこうかと思いましたが、いざ西友に出掛けて手にしてみると小豆って結構高いんですね。
あんこを購入したほうが手間入らずで安いことが判りました。
今はできるだけなんでも安くという意識があるもので、心変わりしてつぶあんの缶詰を買ってきました。
しかし今朝それを開けて味見をしてみると甘すぎます。
この3分の一の甘さでも十分アンパンとして通用できる濃さです。
仕方がない、松本の中村製餡まで味付けして無いつぶあんを買いに行くことにしました。
500g入を一袋買ってきましたが、こんなことなら小豆を煮たほうが安くて時間もかからず良かったのではなかったかと少々反省しながら帰路につくわけです。
帰ってきてから缶詰あんこに500gのつぶあんを混ぜて味見をしましたら・・・・まだまだ甘すぎです。
こいつはもう小豆よりも砂糖のほうが量が多いのではないかと恐れ入り、捨てたゴミ入れから空缶を拾い出して表示を確認してみると、やはり小豆よりも砂糖のほうが前にかかれていました。
主に砂糖を売っているという訳でした。

こりゃ、安くて当然だわ。

もうしょうがないので、このあんを包むしかありません。
生地の状態は発酵不足気味です。
酵母の状態は甘味なしの酸っぱい酵母ですので、こうなることは承知の上のこと、このまま作業を進めます。
ただし、私ぱん屋30年以上やってきましたので、それなりのものに仕上げるために気を使いながらやる訳です。


小さい1段オーブンなので4つしか焼けません。
発酵室なるものがないので、濡れペーパーを乗せてその上からラップを掛けてオーブンの上において・・・・100度で10分のタイマーこれで最終発酵が終るのを待つか。
少しやりたい用事を済ませて1時間後に様子を見てみたら、カラッカラ・・・・・こりゃまずかった。
時間を掛けても良かったから常温で発酵を進めるべきだったと後悔しました。
霧吹きを掛けて5分ほど放置して表面に湿度を与えてから焼いてみました。
気に入った出来ではありませんが、美味しく頂きました。
あんこがまだまだいっぱいあるので当分あんパン作りをする事になりそうです。
追記
あれから2回あんパンを焼きました。
酵母の状態はいつまで経っても復活してきません。
でも、最終醗酵まで全て常温発酵でやっているおかげで乾燥が酷くて駄目にすることは無くなりました。
アルバイト先の若者達の食事がジャンクに偏っているのであんパンを差し入れすることにしました。
わざわざという思いではなく、1人で食べきれないので食べて貰おうかというふうかな。
干しぶどうとリンゴのすり下ろしで酵母を新規に作ることにしました。
やはりパン作りは楽しいと実感しています。
小豆を買ってきて自分でたこうかと思いましたが、いざ西友に出掛けて手にしてみると小豆って結構高いんですね。
あんこを購入したほうが手間入らずで安いことが判りました。
今はできるだけなんでも安くという意識があるもので、心変わりしてつぶあんの缶詰を買ってきました。
しかし今朝それを開けて味見をしてみると甘すぎます。
この3分の一の甘さでも十分アンパンとして通用できる濃さです。
仕方がない、松本の中村製餡まで味付けして無いつぶあんを買いに行くことにしました。
500g入を一袋買ってきましたが、こんなことなら小豆を煮たほうが安くて時間もかからず良かったのではなかったかと少々反省しながら帰路につくわけです。
帰ってきてから缶詰あんこに500gのつぶあんを混ぜて味見をしましたら・・・・まだまだ甘すぎです。
こいつはもう小豆よりも砂糖のほうが量が多いのではないかと恐れ入り、捨てたゴミ入れから空缶を拾い出して表示を確認してみると、やはり小豆よりも砂糖のほうが前にかかれていました。
主に砂糖を売っているという訳でした。
こりゃ、安くて当然だわ。
もうしょうがないので、このあんを包むしかありません。
生地の状態は発酵不足気味です。
酵母の状態は甘味なしの酸っぱい酵母ですので、こうなることは承知の上のこと、このまま作業を進めます。
ただし、私ぱん屋30年以上やってきましたので、それなりのものに仕上げるために気を使いながらやる訳です。
小さい1段オーブンなので4つしか焼けません。
発酵室なるものがないので、濡れペーパーを乗せてその上からラップを掛けてオーブンの上において・・・・100度で10分のタイマーこれで最終発酵が終るのを待つか。
少しやりたい用事を済ませて1時間後に様子を見てみたら、カラッカラ・・・・・こりゃまずかった。
時間を掛けても良かったから常温で発酵を進めるべきだったと後悔しました。
霧吹きを掛けて5分ほど放置して表面に湿度を与えてから焼いてみました。
気に入った出来ではありませんが、美味しく頂きました。
あんこがまだまだいっぱいあるので当分あんパン作りをする事になりそうです。
追記
あれから2回あんパンを焼きました。
酵母の状態はいつまで経っても復活してきません。
でも、最終醗酵まで全て常温発酵でやっているおかげで乾燥が酷くて駄目にすることは無くなりました。
アルバイト先の若者達の食事がジャンクに偏っているのであんパンを差し入れすることにしました。
わざわざという思いではなく、1人で食べきれないので食べて貰おうかというふうかな。
干しぶどうとリンゴのすり下ろしで酵母を新規に作ることにしました。
やはりパン作りは楽しいと実感しています。
2018年01月08日
革靴の手入れをしました。
この靴は3年目かな。
そんなくらいです。
昨年から底が剥げてパカパカなるので数回接着剤を入れては直し直し使っているのです。
雪対応の冬靴を最近買ったので、この底剥がれ靴はそのまま状態でガレージに置いてありました。
今日は雪まで降り出して外作業は出来そうも無いので、靴の手入れをする事にしました。

ミンクオイルを使えなくなった歯ブラシですり込みます。
紐も緩めて全体の皮部分にしっかりやります。
農業用の革靴の紐はもう4回くらい切れて取り替えていますが、流石に普段履きに使っているこの靴はまだ1回も交換していないのであります。
が、靴底は剥がれやすかったというわけだ。
あ、メーカーですかい。
内気です。
字か違ったかもしれない。
まだまだ使いまっせ。
そんなくらいです。
昨年から底が剥げてパカパカなるので数回接着剤を入れては直し直し使っているのです。
雪対応の冬靴を最近買ったので、この底剥がれ靴はそのまま状態でガレージに置いてありました。
今日は雪まで降り出して外作業は出来そうも無いので、靴の手入れをする事にしました。
ミンクオイルを使えなくなった歯ブラシですり込みます。
紐も緩めて全体の皮部分にしっかりやります。
農業用の革靴の紐はもう4回くらい切れて取り替えていますが、流石に普段履きに使っているこの靴はまだ1回も交換していないのであります。
が、靴底は剥がれやすかったというわけだ。
あ、メーカーですかい。
内気です。
字か違ったかもしれない。
まだまだ使いまっせ。
2017年12月31日
ボールペンを作りました。
畑の境界線に植えられているこの木は毎年広がりすぎて通りを狭くするので困ります。
境界線には杭だけで良いと思っているのですが、いつだったか向こうのぶどう園の地主が近寄ってきて言うには杭は動くが木は動かないと声を大きくしていた。
おまえみたいな考えをするやつが動かすんじゃいと言い返したかったがぐぐっとこらえた。
まあ、その話は置いといて今年も道側に飛び出してきた枝切りをしてきた。
中心部が両部の木と同じで空洞になっているのでドリルを中心部に通すのに適している。
ただ厄介だなと思っているよりも、この際有効に使ってやるのが自分らしくて良いと思っている。


いつも手作りボールペンを持ち歩いてセールスをしているのだが、ならかわ市場のお姉さん方がこのボールペン書きやすくて良いわね。何処で売ってるのと聞くので自分で作ったもので・・・・・そんな流から作ってほしいというので、今度作ったらプレゼントしますよと言ってあるのです。
3人分作らないと行けないので、後1本分の芯部分を買ってこないと行けないなぁ。
でも、10本くらい一緒に作ってしまう方が良いかな。
境界線には杭だけで良いと思っているのですが、いつだったか向こうのぶどう園の地主が近寄ってきて言うには杭は動くが木は動かないと声を大きくしていた。
おまえみたいな考えをするやつが動かすんじゃいと言い返したかったがぐぐっとこらえた。
まあ、その話は置いといて今年も道側に飛び出してきた枝切りをしてきた。
中心部が両部の木と同じで空洞になっているのでドリルを中心部に通すのに適している。
ただ厄介だなと思っているよりも、この際有効に使ってやるのが自分らしくて良いと思っている。
いつも手作りボールペンを持ち歩いてセールスをしているのだが、ならかわ市場のお姉さん方がこのボールペン書きやすくて良いわね。何処で売ってるのと聞くので自分で作ったもので・・・・・そんな流から作ってほしいというので、今度作ったらプレゼントしますよと言ってあるのです。
3人分作らないと行けないので、後1本分の芯部分を買ってこないと行けないなぁ。
でも、10本くらい一緒に作ってしまう方が良いかな。
2017年12月31日
久しぶりにパン焼きをしています。
年末の片付け作業で冷蔵庫の中から3ヶ月前から更新をしていない酵母菌を発見しまして、正月休みを使ってパン焼きをする事にしました。
今まではオーブントースターしかなかったので、厚みのあるパン焼きが出来ませんでしたが、この秋に新しいオーブンを購入しました。
温度調節とタイマーが付いた物で電熱線が上2本下2本付いています。
7000円くらいの安物ですが、これで十分です。
2日前に1回目のパン焼きをしたのですが、古い酵母菌の割には酸味も出ずに良いパンが焼けました。

明日にはそのパンもお腹に入ってしまうので、今日は暗くなってから仕込みをしました。
前回は柔らかめのライ麦パンを焼きましたが、今回は水を少なめにして堅めのライ麦パンを焼きます。
ライ麦の全粒粉も古ーい物でこの機会にサッサカ使ってしまいたいものです。
今まではオーブントースターしかなかったので、厚みのあるパン焼きが出来ませんでしたが、この秋に新しいオーブンを購入しました。
温度調節とタイマーが付いた物で電熱線が上2本下2本付いています。
7000円くらいの安物ですが、これで十分です。
2日前に1回目のパン焼きをしたのですが、古い酵母菌の割には酸味も出ずに良いパンが焼けました。
明日にはそのパンもお腹に入ってしまうので、今日は暗くなってから仕込みをしました。
前回は柔らかめのライ麦パンを焼きましたが、今回は水を少なめにして堅めのライ麦パンを焼きます。
ライ麦の全粒粉も古ーい物でこの機会にサッサカ使ってしまいたいものです。
2017年12月07日
福井に小旅行してきました。
忙しく続いた収穫から種蒔きまでの作業がやっと緩やかになり、後はあちらこちらと今年のゴミ垢が溜まっている箇所の片付けだけとなりました。まあ、こんな作業は正月までには片付くことはなく、例年通りに3月の春までにボチボチとやっていけば良いのであります。
さて、そんな訳で久しぶりに友人が住む福井まで出掛ける時間が取れ、一泊二日の一人電車旅を楽しみました。
それでももっと自由に使える時間とお金があれば北海道や台湾などと範囲を広げたいのですが、まあ今の自分の器に合った時間の使い方がやはり無理なく無駄なく似合うのでしょうか。

1日目
福井の友人宅には5年前に今乗っているMD90郵政カブで行っております。
動かない古いバイクを購入してメンテを自分でして乗り出したばかりの頃なので、調子が悪いったらありませんでした。
今ではスポークを足したりオイル交換やキャブ交換チェンやギヤ交換などして大分調子の良いバイクになって乗っています。
今回は季節的なことも有り電車旅となりました。
塩尻駅から各駅停車の中津川行きのワンマン電車で出発です。
一面の青い空の中上空には筋雲が立ち上っていました。
上空には相当強い風が吹いているのでしょう。これから天気が変わるよということでしょうか。
木曽谷沿いの国道19号線は度々走っているが、電車で谷沿いを下るのは本当に久しぶりである。
国道を走るときには前ばかりを見て走るので、電車の車窓から横に流れる景色を見るのは中々面白い。
さっと通り過ぎてしまう景色だが、鉄橋を渡るときに見下げる谷底の川面が一瞬朝陽に照らされ光るのでした。
その中に所々出ている丸石の頭。
黒い小鳥の影も走っていた。
ジェットコースターから見たような一瞬の谷底の風景だった。
せっかく電車に乗るんだからと西友で梅チューハイ・チョコ・つまみの乾物・ビスコ・乾パンなどを買い込んで一人遠足の気分だった。走り出して直ぐにチョコを割って一かけ口に放り込むと・・・溶け出す前のその鋭い角で口内を傷つけてしまった。正直言ってこの所の体調の悪さをこんな形で発揮してしまうとは情けないと思わざるを得ないのだった。
木曽福島に着いた時にはチューハイも8割ほど飲み終え、少々目のやり所がふらついている気分であった。
ビスコはあまり酒のつまみには向かないなと思いながらも又2つ入りの小袋を手にする。
荒れた山中の畑が車窓を流れていく。
周りには錆びたナミトタンや金網が張られており獣対策がされている。
今年一度も草刈りされていなかっただろう背丈のある冬間近錆色の雑草に埋もれて屋根らしき物が見えた。
鶏かウサギでも飼っていたのだろうか・・・・残り僅かのチューハイを口に流し込む。
ここでの暮らしを重ねていた人達の事が頭をよぎるのは仕方ない。
農的暮らしを思う自分には避けられない事になってしまっている。
時代は移り変って行く事を止める事は出来ない。
判ってはいる。
自分も少なくなっていく残りの人生を思う時間が多くなり、その事を思い知るのだった。
現代では仕事の営みは一代でピリオドが打たれてしまう。
それは良い事でもあるが、里山から若い人を都会へと・・自給できる暮らしから団体に頼る暮らしへとその生活率を変えてしまっている・・・人の心の動きはこの山並の風景と同じでそう簡単には変われないし、変わらない。
若い時分に東京から電車で松本盆地に帰ってくると車窓から鉢伏山や常念岳の山並みを見て変わらぬ風景に懐かしさと安心感を覚えたものだった。
懐かしさは人生が作り出すエッセンスではあるがもしかしたらそれだけでないかもしれない。
私は里山の荒れた風景を見るともったいない気持ちと何とかならないものかという気持ちが湧いてくる。それにどこか懐かしい気持ちまで混じって複雑な気持ちになってくる。
懐かしさという思いはもっと深い所に何か心を動かすものが潜んでいる気がした。
中津川から快速に乗り換えだ。
乗り換えはいつも緊張する。
ここは難しくなく容易に乗り換えが出来た。
車窓側からお互いに向かい合うベンチ状の椅子になった。
前にはお喋り好きな中年女性が10人ほど並び、隣同士で楽しそうに話しに夢中になっていた。
それが割りに大声でして、車内放送が聞き取れないのが害である。
社会経験を積み上げてきたであろう人達なのだが、自分達以外に沢山の人が周りにいる状態でこうなってしまうのには少し残念な気持ちになった。
それでも名古屋が近づいてくるに従い目の前に多くの人が立ち始めると大声での会話も鎮火となり車内全体がスマホいじりばかりとなっていた。
飲み終えた缶を手で潰してリックのサイドポケットにしまい込んだ。
そこまでは良かったがその直ぐ後から目の前から斜め方向の床にカメムシが一匹歩いていた。
これはどうやら時分のリックのポケットから這いずり出てきたものだと何となく確信したものだ。
リックをしまい込んでいるガレージは冬のカメムシ越冬隊がわんさかいるのだから。
人の動きがある度踏みつぶされるのではないかとハラハラして見ていたが、あまり直視し続けていると怪しまれやしないかと目を薄めにして眠ったふりをし続けるのであった。
名古屋から金沢行の特急しらさぎに乗り換えた。
最初は鈍行電車だけで一番安く行こうと思っていたのだが、福井の友人がこちらへ来たら福井見物に連れて行ってくれると言ってくれたので、それならば急ごうかとなった。
小さいながらもテーブルが付きリグラインの出来るシートで居心地満点だ。乗り換え時間が7分あったので、駅弁なども良いかなと思っていたのだが、つまみの菓子をかいすぎたので、それで昼食にする事にした。
乾パンから手を付ける、最初は噛むほどに美味いなどと思っていたがやはり少し刺激がなさ過ぎる。
兎に角水分が必要でただでさえ嚥下障害が出始めているので喉に詰まってしょうが無い。
持参してきた水入りペットを取りだして飲み始める。
酒のつまみにと思って始めて買ったソイジャーキーなる物を乾パンのおかず代わりにリックから取りだした。
交互に食べ始めたら結構これがいけておやつ感から食事感へと変わった気がする。
走り始めて暫くすると前の方から大きないびきが聞こえ始めた。
こればかりは全く罪はなく、昼食時の余興として聞く事にしておこう。
目的地の福井まであと2時間ばかりある。
食べてばかりいたのでは身体に悪いので持ってきた本を読む事にした。
2年ほど前に久しぶりにブックオフに行き150円で見つけた本“仕事は楽しいかね”というものだ。
宿直のアルバイトをする際に時間をもてあますので読書をするチャンスだと思い購入したのだったが、本は一度も開く事はなかった。
一年近くこたつの横に置きざられていたのだが、リックに入れる所を息子に見られ、それブックオフにいっぱい置いてある本だねと一言。
そうか、ちまたではベルトセラーだった本であふれきっていた本かと思った。
つまらぬ仕事に疲れ切っている人にとっては引きつけられる題名だもんな。
老眼鏡を掛けて読み始めると、うん、うん、そうだよなぁとスーと話が入って来た。
今の自分に足りない事はこの先の生きる長さを気にしすぎてやりたい事を抑えすぎているのではないかと思った。
身の回りの整理など考えてはいけないなと・・・まだまだ周りにがらくたをため込んでいかなくては・・・
息子達には悪いが、次の世代が先代のがらくたの片付けをしていくのが社会を繋ぐものの宿命と割り切っていこうかな。
まだ先は長いぞと思わないと死ぬまで生を全うできないと再認識したのだった。
そこで思ったのが、新製品の葡萄ソースにごまでも混ぜてみっかだった。
福井駅について出口に進むと改札口の向こうで懐かしい顔のれいちゃんが手を振っていた。
あれ、旦那のまこちゃんはと聞くと駐車場がいっぱいだったんで車の中で待ってるという。
二人共に元気そうだったが、まこちゃんは相変わらずメタボ中を継続していた。
これから福井観光に連れて行ってくれるというので楽しみだ。
じゃ、水仙が咲き始めたというニュースを見たので越前海岸へ行こうという。
2町村に跨がって急な沿岸沿いには水仙があちらこちらと植え付けられ管理されている。
水仙公園に着くと山肌には見渡す限りの水仙が広がっていた。
残念ながら入り口で入場料を取らなかった行為の訳が判った。
一部分に限り1歩咲き程度だった。
が、これだけのものが咲き乱れたら大したもんだと思う。
頂上付近の駐車場で車を降りて、直ぐそばに咲いていた可愛い小さな白色水仙の花に鼻を近づけて思いっきり香りを吸ってみたら、なんとカメムシ君の匂いに近い異臭がした。
まこちゃんがほんとにーと言って続いて吸ってくれたので、被害者が増えた。
被害者の会を作るほどではないが、何となく仲間意識が生まれたような気になったのは私だけかもしれない。

次に何処へ行こうかという話になり、「火野正平の心旅で出た亀島が近いから行こうか」という。
『その番組は我が家でもよく観ていて亀島編も見たよ』
れいちゃんが「こしさんは何処へ行きたい」と聞くので、『僕は海に沈む夕陽をあまり見ないのでゆっくり観てみたい』と答えた。
「じゃ、時間的にも亀島で決定だね」となった。
バイク旅ではいつも距離を稼ぐために夜中走る事が多い。
2年間油谷島に通ったときにも海岸沿いを走る事も多かったが海に沈む夕陽を眺める事は一度もなかった。
この所の福井は毎週末雨ばかりで今日の晴れはほんとに久しぶりだと言う。
勤めの仕事をしていると海の近くに暮らしていても海に沈む夕陽を中々観る機会が無いと聞く。
油谷島近くの駐車場で車から下りた時にはもうオレンジ色の陽が海辺の民家の板壁やセメントで固められた細い路地を照らし始めていた。


海縁の船置き場まで下りてきたが亀島はまだ先のようだ、沈んでしまわないかと気持ちは少し焦っていたが、そこから30メートルくらい海縁を歩くと少し広い平地と漁船置き場の向こうに夕陽を逆高に黒い亀島が現れた。
直接夕陽が見える所まで歩いて行くと赤く輝き始めた眩しさが目に染みこんできた。
「わー、きれいだね」
こんなに綺麗な夕陽福井に住んでいても滅多に見れないとまこちゃんが言った。

真っ赤に焼けた赤い光線が眩しすぎて見続けられないほどだった。
5分くらいその場に佇み夕陽のショーを見る事が出来た。
畑からアルプスの上に連なる雲に太陽光が反射して輝く夕焼け空も素敵だが、水平線に観る夕陽も格別だ。
信州でこんな赤い夕陽をみられる所と言ったら山頂しかないだろう。
その後温泉に連れて行って貰った。
その湯船の中で地元の人だろうか「今日の夕陽はすばらしかったなぁ」ああ、俺も観たよ あんなに綺麗な夕陽は滅多に観れないなぁ」そんな会話がされていた。
夕食は友人宅でぶりのシャブシャブをご馳走になった。
我が家では正月の雑煮で登場する高級魚だ。
鍋の中には大根の薄切りとほうれん草が入っていてシャブシャブしたぶりと一緒に取りだしてポン酢を付けて食べると美味しいというので、試してみると・・・成る程、ぶりの脂っこさが程よく感じてとても美味しかった。
ぶりしゃぶを食べ酒を飲みながら今何が一番楽しいと聞くと、この年代になるとやはり孫の世話をすることが多く、それが又一番の楽しみになっているとのことだった。
我が家の息子達には未だ娘をひっかけてくる事は無いようなので、そんな楽しみはないし、孫がこの先出来たとしてもその頃にはもう世話をする立場ではなくされる立場になっていそうである。
今の所猫(はたけ)・犬(はな)・鶏(こっこ)をなでたりだっこしたりの世話で充分楽しいと思っている。
帰りの日は午前中周辺にある古い木造民家や茅葺き民家を観に連れて行って貰った。
福井と言えば郷土食に鯖の米糠漬けへしこが有り、前回はこれを土産に買っていったが、今回はそれよりも塩加減が優しくて美味いと聞く大杉のこんか鯖を土産にする事にした。
まこさんれいちゃんが美味い美味いと大いに勧めるのであった。
その店は今日目指している千戸の家の直ぐ近くだというのでついでによって購入していく事となった。
予約しておかないとなくなっているかもしれないというので予約電話を入れてから出発した。
小さなその店は田舎にある鮮魚も扱っているよろず屋であった。

石けんから金物まで生活雑貨が店内の棚に置かれっぱなしという風で、それが又昭和の懐かしさを醸し出していた。
店内を切り盛りしている姉さんは今朝電話で予約して取り置きしてくれたこんか鯖のパックをまこさんに手渡すと大急ぎで又中に引っ込んでしまった。かと思ったら茶碗と急須を持ってきてお茶を3人分入れてくれた。
挨拶話もそこそこに又奥に引っ込んだかと思ったらこんか寿司が少し入ったパックを持ってきて「つまんで、美味しいから」と笑顔で勧めてくれた。
寿司飯の味加減が抜群に宜しかった。
気に入ったので勧められるままに口にほおばって店を後にした。
予約でやっと購入できたこんか鯖は3パックであった。
まこさんところでも購入する予定だったようだが、「こしさんいる」?と言う言葉に甘えて全部分けて貰った。
築700年は経つという千戸の家は信州では見る事がない曲線屋根だった。
中の撮影は禁止になっていましたので、外見だけ撮らせて頂きました。
冬の入口という時期だったことで、雪よけの板が周りにつけられていました。

中の造りも微妙に違っていて興味の有る物でした。
福井では仏壇間が一段高く畳敷きになっていて、一段低い畳の間から拝むという形で、珍しかったです。
そして管理しているおばさんの昔の暮らしぶりの話を火の入った囲炉裏でお茶を飲みながら座って聞けたのもとても良かったです。
坪川家の宝物を飾っている土蔵も拝見しましたが、これもまた素晴らしかったです。
勿論見学料500円だったかな、払いました。
続いて1カ所に小さなものから大きなものまで日本各地から複数の茅葺き民家を移築し、展示公開している公園に行きました。
まだ、つづく。
さて、そんな訳で久しぶりに友人が住む福井まで出掛ける時間が取れ、一泊二日の一人電車旅を楽しみました。
それでももっと自由に使える時間とお金があれば北海道や台湾などと範囲を広げたいのですが、まあ今の自分の器に合った時間の使い方がやはり無理なく無駄なく似合うのでしょうか。
1日目
福井の友人宅には5年前に今乗っているMD90郵政カブで行っております。
動かない古いバイクを購入してメンテを自分でして乗り出したばかりの頃なので、調子が悪いったらありませんでした。
今ではスポークを足したりオイル交換やキャブ交換チェンやギヤ交換などして大分調子の良いバイクになって乗っています。
今回は季節的なことも有り電車旅となりました。
塩尻駅から各駅停車の中津川行きのワンマン電車で出発です。
一面の青い空の中上空には筋雲が立ち上っていました。
上空には相当強い風が吹いているのでしょう。これから天気が変わるよということでしょうか。
木曽谷沿いの国道19号線は度々走っているが、電車で谷沿いを下るのは本当に久しぶりである。
国道を走るときには前ばかりを見て走るので、電車の車窓から横に流れる景色を見るのは中々面白い。
さっと通り過ぎてしまう景色だが、鉄橋を渡るときに見下げる谷底の川面が一瞬朝陽に照らされ光るのでした。
その中に所々出ている丸石の頭。
黒い小鳥の影も走っていた。
ジェットコースターから見たような一瞬の谷底の風景だった。
せっかく電車に乗るんだからと西友で梅チューハイ・チョコ・つまみの乾物・ビスコ・乾パンなどを買い込んで一人遠足の気分だった。走り出して直ぐにチョコを割って一かけ口に放り込むと・・・溶け出す前のその鋭い角で口内を傷つけてしまった。正直言ってこの所の体調の悪さをこんな形で発揮してしまうとは情けないと思わざるを得ないのだった。
木曽福島に着いた時にはチューハイも8割ほど飲み終え、少々目のやり所がふらついている気分であった。
ビスコはあまり酒のつまみには向かないなと思いながらも又2つ入りの小袋を手にする。
荒れた山中の畑が車窓を流れていく。
周りには錆びたナミトタンや金網が張られており獣対策がされている。
今年一度も草刈りされていなかっただろう背丈のある冬間近錆色の雑草に埋もれて屋根らしき物が見えた。
鶏かウサギでも飼っていたのだろうか・・・・残り僅かのチューハイを口に流し込む。
ここでの暮らしを重ねていた人達の事が頭をよぎるのは仕方ない。
農的暮らしを思う自分には避けられない事になってしまっている。
時代は移り変って行く事を止める事は出来ない。
判ってはいる。
自分も少なくなっていく残りの人生を思う時間が多くなり、その事を思い知るのだった。
現代では仕事の営みは一代でピリオドが打たれてしまう。
それは良い事でもあるが、里山から若い人を都会へと・・自給できる暮らしから団体に頼る暮らしへとその生活率を変えてしまっている・・・人の心の動きはこの山並の風景と同じでそう簡単には変われないし、変わらない。
若い時分に東京から電車で松本盆地に帰ってくると車窓から鉢伏山や常念岳の山並みを見て変わらぬ風景に懐かしさと安心感を覚えたものだった。
懐かしさは人生が作り出すエッセンスではあるがもしかしたらそれだけでないかもしれない。
私は里山の荒れた風景を見るともったいない気持ちと何とかならないものかという気持ちが湧いてくる。それにどこか懐かしい気持ちまで混じって複雑な気持ちになってくる。
懐かしさという思いはもっと深い所に何か心を動かすものが潜んでいる気がした。
中津川から快速に乗り換えだ。
乗り換えはいつも緊張する。
ここは難しくなく容易に乗り換えが出来た。
車窓側からお互いに向かい合うベンチ状の椅子になった。
前にはお喋り好きな中年女性が10人ほど並び、隣同士で楽しそうに話しに夢中になっていた。
それが割りに大声でして、車内放送が聞き取れないのが害である。
社会経験を積み上げてきたであろう人達なのだが、自分達以外に沢山の人が周りにいる状態でこうなってしまうのには少し残念な気持ちになった。
それでも名古屋が近づいてくるに従い目の前に多くの人が立ち始めると大声での会話も鎮火となり車内全体がスマホいじりばかりとなっていた。
飲み終えた缶を手で潰してリックのサイドポケットにしまい込んだ。
そこまでは良かったがその直ぐ後から目の前から斜め方向の床にカメムシが一匹歩いていた。
これはどうやら時分のリックのポケットから這いずり出てきたものだと何となく確信したものだ。
リックをしまい込んでいるガレージは冬のカメムシ越冬隊がわんさかいるのだから。
人の動きがある度踏みつぶされるのではないかとハラハラして見ていたが、あまり直視し続けていると怪しまれやしないかと目を薄めにして眠ったふりをし続けるのであった。
名古屋から金沢行の特急しらさぎに乗り換えた。
最初は鈍行電車だけで一番安く行こうと思っていたのだが、福井の友人がこちらへ来たら福井見物に連れて行ってくれると言ってくれたので、それならば急ごうかとなった。
小さいながらもテーブルが付きリグラインの出来るシートで居心地満点だ。乗り換え時間が7分あったので、駅弁なども良いかなと思っていたのだが、つまみの菓子をかいすぎたので、それで昼食にする事にした。
乾パンから手を付ける、最初は噛むほどに美味いなどと思っていたがやはり少し刺激がなさ過ぎる。
兎に角水分が必要でただでさえ嚥下障害が出始めているので喉に詰まってしょうが無い。
持参してきた水入りペットを取りだして飲み始める。
酒のつまみにと思って始めて買ったソイジャーキーなる物を乾パンのおかず代わりにリックから取りだした。
交互に食べ始めたら結構これがいけておやつ感から食事感へと変わった気がする。
走り始めて暫くすると前の方から大きないびきが聞こえ始めた。
こればかりは全く罪はなく、昼食時の余興として聞く事にしておこう。
目的地の福井まであと2時間ばかりある。
食べてばかりいたのでは身体に悪いので持ってきた本を読む事にした。
2年ほど前に久しぶりにブックオフに行き150円で見つけた本“仕事は楽しいかね”というものだ。
宿直のアルバイトをする際に時間をもてあますので読書をするチャンスだと思い購入したのだったが、本は一度も開く事はなかった。
一年近くこたつの横に置きざられていたのだが、リックに入れる所を息子に見られ、それブックオフにいっぱい置いてある本だねと一言。
そうか、ちまたではベルトセラーだった本であふれきっていた本かと思った。
つまらぬ仕事に疲れ切っている人にとっては引きつけられる題名だもんな。
老眼鏡を掛けて読み始めると、うん、うん、そうだよなぁとスーと話が入って来た。
今の自分に足りない事はこの先の生きる長さを気にしすぎてやりたい事を抑えすぎているのではないかと思った。
身の回りの整理など考えてはいけないなと・・・まだまだ周りにがらくたをため込んでいかなくては・・・
息子達には悪いが、次の世代が先代のがらくたの片付けをしていくのが社会を繋ぐものの宿命と割り切っていこうかな。
まだ先は長いぞと思わないと死ぬまで生を全うできないと再認識したのだった。
そこで思ったのが、新製品の葡萄ソースにごまでも混ぜてみっかだった。
福井駅について出口に進むと改札口の向こうで懐かしい顔のれいちゃんが手を振っていた。
あれ、旦那のまこちゃんはと聞くと駐車場がいっぱいだったんで車の中で待ってるという。
二人共に元気そうだったが、まこちゃんは相変わらずメタボ中を継続していた。
これから福井観光に連れて行ってくれるというので楽しみだ。
じゃ、水仙が咲き始めたというニュースを見たので越前海岸へ行こうという。
2町村に跨がって急な沿岸沿いには水仙があちらこちらと植え付けられ管理されている。
水仙公園に着くと山肌には見渡す限りの水仙が広がっていた。
残念ながら入り口で入場料を取らなかった行為の訳が判った。
一部分に限り1歩咲き程度だった。
が、これだけのものが咲き乱れたら大したもんだと思う。
頂上付近の駐車場で車を降りて、直ぐそばに咲いていた可愛い小さな白色水仙の花に鼻を近づけて思いっきり香りを吸ってみたら、なんとカメムシ君の匂いに近い異臭がした。
まこちゃんがほんとにーと言って続いて吸ってくれたので、被害者が増えた。
被害者の会を作るほどではないが、何となく仲間意識が生まれたような気になったのは私だけかもしれない。
次に何処へ行こうかという話になり、「火野正平の心旅で出た亀島が近いから行こうか」という。
『その番組は我が家でもよく観ていて亀島編も見たよ』
れいちゃんが「こしさんは何処へ行きたい」と聞くので、『僕は海に沈む夕陽をあまり見ないのでゆっくり観てみたい』と答えた。
「じゃ、時間的にも亀島で決定だね」となった。
バイク旅ではいつも距離を稼ぐために夜中走る事が多い。
2年間油谷島に通ったときにも海岸沿いを走る事も多かったが海に沈む夕陽を眺める事は一度もなかった。
この所の福井は毎週末雨ばかりで今日の晴れはほんとに久しぶりだと言う。
勤めの仕事をしていると海の近くに暮らしていても海に沈む夕陽を中々観る機会が無いと聞く。
油谷島近くの駐車場で車から下りた時にはもうオレンジ色の陽が海辺の民家の板壁やセメントで固められた細い路地を照らし始めていた。
海縁の船置き場まで下りてきたが亀島はまだ先のようだ、沈んでしまわないかと気持ちは少し焦っていたが、そこから30メートルくらい海縁を歩くと少し広い平地と漁船置き場の向こうに夕陽を逆高に黒い亀島が現れた。
直接夕陽が見える所まで歩いて行くと赤く輝き始めた眩しさが目に染みこんできた。
「わー、きれいだね」
こんなに綺麗な夕陽福井に住んでいても滅多に見れないとまこちゃんが言った。
真っ赤に焼けた赤い光線が眩しすぎて見続けられないほどだった。
5分くらいその場に佇み夕陽のショーを見る事が出来た。
畑からアルプスの上に連なる雲に太陽光が反射して輝く夕焼け空も素敵だが、水平線に観る夕陽も格別だ。
信州でこんな赤い夕陽をみられる所と言ったら山頂しかないだろう。
その後温泉に連れて行って貰った。
その湯船の中で地元の人だろうか「今日の夕陽はすばらしかったなぁ」ああ、俺も観たよ あんなに綺麗な夕陽は滅多に観れないなぁ」そんな会話がされていた。
夕食は友人宅でぶりのシャブシャブをご馳走になった。
我が家では正月の雑煮で登場する高級魚だ。
鍋の中には大根の薄切りとほうれん草が入っていてシャブシャブしたぶりと一緒に取りだしてポン酢を付けて食べると美味しいというので、試してみると・・・成る程、ぶりの脂っこさが程よく感じてとても美味しかった。
ぶりしゃぶを食べ酒を飲みながら今何が一番楽しいと聞くと、この年代になるとやはり孫の世話をすることが多く、それが又一番の楽しみになっているとのことだった。
我が家の息子達には未だ娘をひっかけてくる事は無いようなので、そんな楽しみはないし、孫がこの先出来たとしてもその頃にはもう世話をする立場ではなくされる立場になっていそうである。
今の所猫(はたけ)・犬(はな)・鶏(こっこ)をなでたりだっこしたりの世話で充分楽しいと思っている。
帰りの日は午前中周辺にある古い木造民家や茅葺き民家を観に連れて行って貰った。
福井と言えば郷土食に鯖の米糠漬けへしこが有り、前回はこれを土産に買っていったが、今回はそれよりも塩加減が優しくて美味いと聞く大杉のこんか鯖を土産にする事にした。
まこさんれいちゃんが美味い美味いと大いに勧めるのであった。
その店は今日目指している千戸の家の直ぐ近くだというのでついでによって購入していく事となった。
予約しておかないとなくなっているかもしれないというので予約電話を入れてから出発した。
小さなその店は田舎にある鮮魚も扱っているよろず屋であった。
石けんから金物まで生活雑貨が店内の棚に置かれっぱなしという風で、それが又昭和の懐かしさを醸し出していた。
店内を切り盛りしている姉さんは今朝電話で予約して取り置きしてくれたこんか鯖のパックをまこさんに手渡すと大急ぎで又中に引っ込んでしまった。かと思ったら茶碗と急須を持ってきてお茶を3人分入れてくれた。
挨拶話もそこそこに又奥に引っ込んだかと思ったらこんか寿司が少し入ったパックを持ってきて「つまんで、美味しいから」と笑顔で勧めてくれた。
寿司飯の味加減が抜群に宜しかった。
気に入ったので勧められるままに口にほおばって店を後にした。
予約でやっと購入できたこんか鯖は3パックであった。
まこさんところでも購入する予定だったようだが、「こしさんいる」?と言う言葉に甘えて全部分けて貰った。
築700年は経つという千戸の家は信州では見る事がない曲線屋根だった。
中の撮影は禁止になっていましたので、外見だけ撮らせて頂きました。
冬の入口という時期だったことで、雪よけの板が周りにつけられていました。
中の造りも微妙に違っていて興味の有る物でした。
福井では仏壇間が一段高く畳敷きになっていて、一段低い畳の間から拝むという形で、珍しかったです。
そして管理しているおばさんの昔の暮らしぶりの話を火の入った囲炉裏でお茶を飲みながら座って聞けたのもとても良かったです。
坪川家の宝物を飾っている土蔵も拝見しましたが、これもまた素晴らしかったです。
勿論見学料500円だったかな、払いました。
続いて1カ所に小さなものから大きなものまで日本各地から複数の茅葺き民家を移築し、展示公開している公園に行きました。
まだ、つづく。
2017年11月24日
薪ストーブ今年も稼働しました。
窓の外を見ると横向きに雪が舞い落ちている。
いよいよ冬・・かもしれない。
一週間ほど前から石油ストーブを使っていたが、3つの部屋で使っているとあっという間に高騰し始めている石油がタンクからなくなってしまうのだった。
今で埃だらけになっていた薪ストーブを使えるようにしないといけないなと、昨日重たい身体を動かして煙突掃除から準備に入った。
昨年まで使っていた掃除用のワイヤーブラシは一回り小さくなっており新しいものを用意しないと用を足してくれそうもなかった。
そう言えばお店で使わなくなった薪ストーブを運び出した際に掃除用のワイヤーブラシも持ち出してきた覚えがあった。何処へ片づけたっけと自宅周りを探してみると廃材と一緒に重なっておいてあったのをみつけた。
お店の一部解体作業で出てくる木材は自宅周りを汚しているので、今年はこれを薪にしていこうと思っている。
昨日の夕方から火を入れて部屋を暖めだしたら、やはり薪ストーブの威力はすごいものだと再確認してしまった。

湯たんぽに入れる湯も勿論ポットに入れる湯もストーブが沸かしてくれるし、何よりパソコン作業をする直ぐ横にストーブがあるのでやったら暖かい。
なんと気持ちの良い暮らしだろうか。
昨年は4日くらいしか森作業をしていなかったので薪材も今年存分に使える状態ではないが、大いに暮らしに薪ストーブをと思っている。
そうそう、ビニールハウスに持ち込んでいる薪ストーブもあそこで使えるようにしてこれから出てくる果樹の剪定木を燃やしていこうかと思っている。
あそこで沸かして飲むコーヒーの時間も又気持ちの良いものである。
おまけ記事
今シーズン3度目の雪だが、今日は積もりそうだ。

いよいよ冬・・かもしれない。
一週間ほど前から石油ストーブを使っていたが、3つの部屋で使っているとあっという間に高騰し始めている石油がタンクからなくなってしまうのだった。
今で埃だらけになっていた薪ストーブを使えるようにしないといけないなと、昨日重たい身体を動かして煙突掃除から準備に入った。
昨年まで使っていた掃除用のワイヤーブラシは一回り小さくなっており新しいものを用意しないと用を足してくれそうもなかった。
そう言えばお店で使わなくなった薪ストーブを運び出した際に掃除用のワイヤーブラシも持ち出してきた覚えがあった。何処へ片づけたっけと自宅周りを探してみると廃材と一緒に重なっておいてあったのをみつけた。
お店の一部解体作業で出てくる木材は自宅周りを汚しているので、今年はこれを薪にしていこうと思っている。
昨日の夕方から火を入れて部屋を暖めだしたら、やはり薪ストーブの威力はすごいものだと再確認してしまった。
湯たんぽに入れる湯も勿論ポットに入れる湯もストーブが沸かしてくれるし、何よりパソコン作業をする直ぐ横にストーブがあるのでやったら暖かい。
なんと気持ちの良い暮らしだろうか。
昨年は4日くらいしか森作業をしていなかったので薪材も今年存分に使える状態ではないが、大いに暮らしに薪ストーブをと思っている。
そうそう、ビニールハウスに持ち込んでいる薪ストーブもあそこで使えるようにしてこれから出てくる果樹の剪定木を燃やしていこうかと思っている。
あそこで沸かして飲むコーヒーの時間も又気持ちの良いものである。
おまけ記事
今シーズン3度目の雪だが、今日は積もりそうだ。