2017年12月07日

福井に小旅行してきました。

忙しく続いた収穫から種蒔きまでの作業がやっと緩やかになり、後はあちらこちらと今年のゴミ垢が溜まっている箇所の片付けだけとなりました。まあ、こんな作業は正月までには片付くことはなく、例年通りに3月の春までにボチボチとやっていけば良いのであります。

さて、そんな訳で久しぶりに友人が住む福井まで出掛ける時間が取れ、一泊二日の一人電車旅を楽しみました。
それでももっと自由に使える時間とお金があれば北海道や台湾などと範囲を広げたいのですが、まあ今の自分の器に合った時間の使い方がやはり無理なく無駄なく似合うのでしょうか。



1日目

福井の友人宅には5年前に今乗っているMD90郵政カブで行っております。
動かない古いバイクを購入してメンテを自分でして乗り出したばかりの頃なので、調子が悪いったらありませんでした。
今ではスポークを足したりオイル交換やキャブ交換チェンやギヤ交換などして大分調子の良いバイクになって乗っています。
今回は季節的なことも有り電車旅となりました。
塩尻駅から各駅停車の中津川行きのワンマン電車で出発です。
一面の青い空の中上空には筋雲が立ち上っていました。
上空には相当強い風が吹いているのでしょう。これから天気が変わるよということでしょうか。
木曽谷沿いの国道19号線は度々走っているが、電車で谷沿いを下るのは本当に久しぶりである。
国道を走るときには前ばかりを見て走るので、電車の車窓から横に流れる景色を見るのは中々面白い。
さっと通り過ぎてしまう景色だが、鉄橋を渡るときに見下げる谷底の川面が一瞬朝陽に照らされ光るのでした。
その中に所々出ている丸石の頭。
黒い小鳥の影も走っていた。
ジェットコースターから見たような一瞬の谷底の風景だった。

せっかく電車に乗るんだからと西友で梅チューハイ・チョコ・つまみの乾物・ビスコ・乾パンなどを買い込んで一人遠足の気分だった。走り出して直ぐにチョコを割って一かけ口に放り込むと・・・溶け出す前のその鋭い角で口内を傷つけてしまった。正直言ってこの所の体調の悪さをこんな形で発揮してしまうとは情けないと思わざるを得ないのだった。

木曽福島に着いた時にはチューハイも8割ほど飲み終え、少々目のやり所がふらついている気分であった。
ビスコはあまり酒のつまみには向かないなと思いながらも又2つ入りの小袋を手にする。
荒れた山中の畑が車窓を流れていく。
周りには錆びたナミトタンや金網が張られており獣対策がされている。
今年一度も草刈りされていなかっただろう背丈のある冬間近錆色の雑草に埋もれて屋根らしき物が見えた。
鶏かウサギでも飼っていたのだろうか・・・・残り僅かのチューハイを口に流し込む。
ここでの暮らしを重ねていた人達の事が頭をよぎるのは仕方ない。
農的暮らしを思う自分には避けられない事になってしまっている。
時代は移り変って行く事を止める事は出来ない。
判ってはいる。
自分も少なくなっていく残りの人生を思う時間が多くなり、その事を思い知るのだった。
現代では仕事の営みは一代でピリオドが打たれてしまう。
それは良い事でもあるが、里山から若い人を都会へと・・自給できる暮らしから団体に頼る暮らしへとその生活率を変えてしまっている・・・人の心の動きはこの山並の風景と同じでそう簡単には変われないし、変わらない。
若い時分に東京から電車で松本盆地に帰ってくると車窓から鉢伏山や常念岳の山並みを見て変わらぬ風景に懐かしさと安心感を覚えたものだった。
懐かしさは人生が作り出すエッセンスではあるがもしかしたらそれだけでないかもしれない。
私は里山の荒れた風景を見るともったいない気持ちと何とかならないものかという気持ちが湧いてくる。それにどこか懐かしい気持ちまで混じって複雑な気持ちになってくる。
懐かしさという思いはもっと深い所に何か心を動かすものが潜んでいる気がした。

中津川から快速に乗り換えだ。
乗り換えはいつも緊張する。
ここは難しくなく容易に乗り換えが出来た。
車窓側からお互いに向かい合うベンチ状の椅子になった。
前にはお喋り好きな中年女性が10人ほど並び、隣同士で楽しそうに話しに夢中になっていた。
それが割りに大声でして、車内放送が聞き取れないのが害である。
社会経験を積み上げてきたであろう人達なのだが、自分達以外に沢山の人が周りにいる状態でこうなってしまうのには少し残念な気持ちになった。
それでも名古屋が近づいてくるに従い目の前に多くの人が立ち始めると大声での会話も鎮火となり車内全体がスマホいじりばかりとなっていた。

飲み終えた缶を手で潰してリックのサイドポケットにしまい込んだ。
そこまでは良かったがその直ぐ後から目の前から斜め方向の床にカメムシが一匹歩いていた。
これはどうやら時分のリックのポケットから這いずり出てきたものだと何となく確信したものだ。
リックをしまい込んでいるガレージは冬のカメムシ越冬隊がわんさかいるのだから。
人の動きがある度踏みつぶされるのではないかとハラハラして見ていたが、あまり直視し続けていると怪しまれやしないかと目を薄めにして眠ったふりをし続けるのであった。

名古屋から金沢行の特急しらさぎに乗り換えた。
最初は鈍行電車だけで一番安く行こうと思っていたのだが、福井の友人がこちらへ来たら福井見物に連れて行ってくれると言ってくれたので、それならば急ごうかとなった。
小さいながらもテーブルが付きリグラインの出来るシートで居心地満点だ。乗り換え時間が7分あったので、駅弁なども良いかなと思っていたのだが、つまみの菓子をかいすぎたので、それで昼食にする事にした。
乾パンから手を付ける、最初は噛むほどに美味いなどと思っていたがやはり少し刺激がなさ過ぎる。
兎に角水分が必要でただでさえ嚥下障害が出始めているので喉に詰まってしょうが無い。
持参してきた水入りペットを取りだして飲み始める。
酒のつまみにと思って始めて買ったソイジャーキーなる物を乾パンのおかず代わりにリックから取りだした。
交互に食べ始めたら結構これがいけておやつ感から食事感へと変わった気がする。
走り始めて暫くすると前の方から大きないびきが聞こえ始めた。
こればかりは全く罪はなく、昼食時の余興として聞く事にしておこう。

目的地の福井まであと2時間ばかりある。
食べてばかりいたのでは身体に悪いので持ってきた本を読む事にした。
2年ほど前に久しぶりにブックオフに行き150円で見つけた本“仕事は楽しいかね”というものだ。
宿直のアルバイトをする際に時間をもてあますので読書をするチャンスだと思い購入したのだったが、本は一度も開く事はなかった。
一年近くこたつの横に置きざられていたのだが、リックに入れる所を息子に見られ、それブックオフにいっぱい置いてある本だねと一言。
そうか、ちまたではベルトセラーだった本であふれきっていた本かと思った。
つまらぬ仕事に疲れ切っている人にとっては引きつけられる題名だもんな。
老眼鏡を掛けて読み始めると、うん、うん、そうだよなぁとスーと話が入って来た。
今の自分に足りない事はこの先の生きる長さを気にしすぎてやりたい事を抑えすぎているのではないかと思った。
身の回りの整理など考えてはいけないなと・・・まだまだ周りにがらくたをため込んでいかなくては・・・
息子達には悪いが、次の世代が先代のがらくたの片付けをしていくのが社会を繋ぐものの宿命と割り切っていこうかな。
まだ先は長いぞと思わないと死ぬまで生を全うできないと再認識したのだった。
そこで思ったのが、新製品の葡萄ソースにごまでも混ぜてみっかだった。

福井駅について出口に進むと改札口の向こうで懐かしい顔のれいちゃんが手を振っていた。
あれ、旦那のまこちゃんはと聞くと駐車場がいっぱいだったんで車の中で待ってるという。
二人共に元気そうだったが、まこちゃんは相変わらずメタボ中を継続していた。
これから福井観光に連れて行ってくれるというので楽しみだ。
じゃ、水仙が咲き始めたというニュースを見たので越前海岸へ行こうという。
2町村に跨がって急な沿岸沿いには水仙があちらこちらと植え付けられ管理されている。
水仙公園に着くと山肌には見渡す限りの水仙が広がっていた。
残念ながら入り口で入場料を取らなかった行為の訳が判った。
一部分に限り1歩咲き程度だった。
が、これだけのものが咲き乱れたら大したもんだと思う。
頂上付近の駐車場で車を降りて、直ぐそばに咲いていた可愛い小さな白色水仙の花に鼻を近づけて思いっきり香りを吸ってみたら、なんとカメムシ君の匂いに近い異臭がした。
まこちゃんがほんとにーと言って続いて吸ってくれたので、被害者が増えた。
被害者の会を作るほどではないが、何となく仲間意識が生まれたような気になったのは私だけかもしれない。

 


次に何処へ行こうかという話になり、「火野正平の心旅で出た亀島が近いから行こうか」という。
『その番組は我が家でもよく観ていて亀島編も見たよ』
れいちゃんが「こしさんは何処へ行きたい」と聞くので、『僕は海に沈む夕陽をあまり見ないのでゆっくり観てみたい』と答えた。
「じゃ、時間的にも亀島で決定だね」となった。
バイク旅ではいつも距離を稼ぐために夜中走る事が多い。
2年間油谷島に通ったときにも海岸沿いを走る事も多かったが海に沈む夕陽を眺める事は一度もなかった。
この所の福井は毎週末雨ばかりで今日の晴れはほんとに久しぶりだと言う。
勤めの仕事をしていると海の近くに暮らしていても海に沈む夕陽を中々観る機会が無いと聞く。
油谷島近くの駐車場で車から下りた時にはもうオレンジ色の陽が海辺の民家の板壁やセメントで固められた細い路地を照らし始めていた。

   

海縁の船置き場まで下りてきたが亀島はまだ先のようだ、沈んでしまわないかと気持ちは少し焦っていたが、そこから30メートルくらい海縁を歩くと少し広い平地と漁船置き場の向こうに夕陽を逆高に黒い亀島が現れた。
直接夕陽が見える所まで歩いて行くと赤く輝き始めた眩しさが目に染みこんできた。
「わー、きれいだね」
こんなに綺麗な夕陽福井に住んでいても滅多に見れないとまこちゃんが言った。

    

真っ赤に焼けた赤い光線が眩しすぎて見続けられないほどだった。
5分くらいその場に佇み夕陽のショーを見る事が出来た。
畑からアルプスの上に連なる雲に太陽光が反射して輝く夕焼け空も素敵だが、水平線に観る夕陽も格別だ。
信州でこんな赤い夕陽をみられる所と言ったら山頂しかないだろう。

その後温泉に連れて行って貰った。
その湯船の中で地元の人だろうか「今日の夕陽はすばらしかったなぁ」ああ、俺も観たよ あんなに綺麗な夕陽は滅多に観れないなぁ」そんな会話がされていた。

夕食は友人宅でぶりのシャブシャブをご馳走になった。
我が家では正月の雑煮で登場する高級魚だ。
鍋の中には大根の薄切りとほうれん草が入っていてシャブシャブしたぶりと一緒に取りだしてポン酢を付けて食べると美味しいというので、試してみると・・・成る程、ぶりの脂っこさが程よく感じてとても美味しかった。

ぶりしゃぶを食べ酒を飲みながら今何が一番楽しいと聞くと、この年代になるとやはり孫の世話をすることが多く、それが又一番の楽しみになっているとのことだった。
我が家の息子達には未だ娘をひっかけてくる事は無いようなので、そんな楽しみはないし、孫がこの先出来たとしてもその頃にはもう世話をする立場ではなくされる立場になっていそうである。
今の所猫(はたけ)・犬(はな)・鶏(こっこ)をなでたりだっこしたりの世話で充分楽しいと思っている。

帰りの日は午前中周辺にある古い木造民家や茅葺き民家を観に連れて行って貰った。
福井と言えば郷土食に鯖の米糠漬けへしこが有り、前回はこれを土産に買っていったが、今回はそれよりも塩加減が優しくて美味いと聞く大杉のこんか鯖を土産にする事にした。
まこさんれいちゃんが美味い美味いと大いに勧めるのであった。
その店は今日目指している千戸の家の直ぐ近くだというのでついでによって購入していく事となった。
予約しておかないとなくなっているかもしれないというので予約電話を入れてから出発した。

小さなその店は田舎にある鮮魚も扱っているよろず屋であった。




石けんから金物まで生活雑貨が店内の棚に置かれっぱなしという風で、それが又昭和の懐かしさを醸し出していた。
店内を切り盛りしている姉さんは今朝電話で予約して取り置きしてくれたこんか鯖のパックをまこさんに手渡すと大急ぎで又中に引っ込んでしまった。かと思ったら茶碗と急須を持ってきてお茶を3人分入れてくれた。
挨拶話もそこそこに又奥に引っ込んだかと思ったらこんか寿司が少し入ったパックを持ってきて「つまんで、美味しいから」と笑顔で勧めてくれた。
寿司飯の味加減が抜群に宜しかった。
気に入ったので勧められるままに口にほおばって店を後にした。

予約でやっと購入できたこんか鯖は3パックであった。
まこさんところでも購入する予定だったようだが、「こしさんいる」?と言う言葉に甘えて全部分けて貰った。

築700年は経つという千戸の家は信州では見る事がない曲線屋根だった。
中の撮影は禁止になっていましたので、外見だけ撮らせて頂きました。
冬の入口という時期だったことで、雪よけの板が周りにつけられていました。

  


中の造りも微妙に違っていて興味の有る物でした。
福井では仏壇間が一段高く畳敷きになっていて、一段低い畳の間から拝むという形で、珍しかったです。
そして管理しているおばさんの昔の暮らしぶりの話を火の入った囲炉裏でお茶を飲みながら座って聞けたのもとても良かったです。
坪川家の宝物を飾っている土蔵も拝見しましたが、これもまた素晴らしかったです。
勿論見学料500円だったかな、払いました。

続いて1カ所に小さなものから大きなものまで日本各地から複数の茅葺き民家を移築し、展示公開している公園に行きました。
まだ、つづく。

  


Posted by きんぴら農園長1 at 21:31Comments(0)暮らし